同調圧力は嫌い
爺さんの時は婆さんの希望も考慮して普通の葬式にしたけど、今回は小ホールの家族葬とした。
この辺りの田舎でも自宅葬は少なくなった。私がこちらに帰ってきてからだと自宅葬は20件に1件くらいだと思う。それ以外は全部斎場での式。通夜も通夜式の形式。
ただ自宅葬の形式が残っていて同じ組合は手伝いをする。通夜の日は半日くらい、葬儀の日はほ1日弱潰れてしまうのが今の通常のやり方。そう言うのは自分が面倒であったり、他人に面倒をかけたり、意味が無いと考える人が出てきて家族葬という形で小さく葬儀を済ませる例もポツポツと。
家族葬にも二つくらいの段階?が有り、最もシンプルなのは「会葬をご辞退します」と言う文面と共に連絡が回ってくるヤツ。これだと親族しか来ない。
次が単純に「家族葬」と言う文面を付けて連絡を回すヤツで、これだと親族と凄く近い知人と極々近所の人しか来ない。今回はこの形式。爺さんの時は普通に連絡を回して200人弱の式だったけど、今回は100人以下に成るかな?全く解らんなあ・・・と言う気持ちで決めた。
ここは日本、さらに田舎なので今までのやり方を変えようとすると反発も有る。五月蠅い親戚とか、仕切りたがりやの近所の爺婆とか。でも今回はその辺りからの明確な反発は無かった。ここに帰って来てから積み上げてきた「うるせーバーカ」と言いかねない立ち位置が効いてきたのか(笑)。
唯一反発というか同調圧力を感じたのか依頼をしたお寺から。やれ「家族葬だとあとあとお参りが続いて逆に面倒に成るよ」とか、「ちゃんとしてやった方がお母様も喜ぶ」とか言うわけ。まあ面倒かどうかは自分が考えて一番エネルギ消費が少ないやり方を選べば良いけど、「ちゃんとした・・・」の方はカチンと来る。
婆さんはどちらかというとこの手の言い方や同調圧力をかけてくる方だったので、私は小さい頃からこの手の圧力が大嫌いだった。別の言い方をすれば素直な子供では無くて捻くれて居た。
今回も同じように「ちゃんとしたほうが・・・」と言われてしまい、少しだけ迷いが有ったけど「絶対に家族葬で進める!!!!」と決意した次第。
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