片付けは心を病む
昨日の続きで今日は食器類をメインに表に出す予定。納屋の中のでっかい棚は、食堂を片付けた時に私が作って余分な食器を納めた物。今日はこの余剰食器を外に出して捨てる準備をする予定。
手前が陶磁器類でリフト支柱の向こう側が塗り物。バザーというかちょっとした骨董市と言うか骨董品屋だな。。。これとは別に日常的に使う食器棚が有り、さらに婆さんは自分の食器棚を持っている。
いくら物が無い時代を過ごして来たとか、田舎は冠婚葬祭を自宅でしていたとか、、、色々考慮すべき理由は有るけど少しばかり病的なんじゃ無かろうか?と思ってしまう。
勢いの有るうちに作業を進めようと思い、和服類を引っぱり出してきた。向かって右側が和服の山。これは場所が無いから私の嫁さんが持ってきた婚礼箪笥の中に入れていたヤツ。やっぱり病的だと思う。
そしてこんな作業をしていたら私の気持ちも病的に変化していく。今までに同じ事を何回も何回も繰り返している。同じ写真を使っている訳じゃ無い。毎回新たに不要品を引っぱり出して処分している。
不要品とは言え十分に使える物ばかり。それなりに高そうなヤツも有る。私の両親は色々な事を思いながら買ったんだろうなとか思ってしまう。随分惚けたとは言え見たら悲しいだろうなとも思う。物を大切にしろよとも思う。黙々と使える物をゴミに変える作業をしていると色々な事を思う。
でもそんな事を思っていたら私が死ぬまでにゴミは無くならない。自分の親とか近所の爺婆を見ていたら解るけど、自分の物を綺麗に片付けて死ぬことは難しい。だから自分の物は子供達に任せる事にして(笑)、最低限でも自分の親とかその先の代の物は片付けておく義務が有ると思い始めた。
納屋の分はだいぶ終わった。でも3畳の部屋全部に積み上がった分と、山の方にある物置小屋はまだ手つかず。定量的に捉えると鬱になる。「うりゃー!、全部捨てるぞ!、バカ野郎!、片付けてから死ねや!」などと感情で押し切るしか無い。一般人だからコカイン吸引する訳にはいかんからなあ。
61歳に成って残りの年数を数える段階に入った。家のゴミだけじゃ無くて仕事とか生活とか、一度全部をリセットしてしまった方が良いかも知れんと思う。
ダラダラ生きていたらそのうちにダラダラ死ぬだけだ。今までと同じ方向性とか時間軸で生きては行かん領域なんじゃ無かろうか。焦れと言う意味では無くてプライオリティーを考えて生きろと言う意味で。
バイク 12km
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コメント
あまりの量に思わず笑っちゃいました。我が家もそれなりの量ありましたけど流石に負けです。地道に捨てるしかないですね。着物類は貰い手があったけど、貰われていったブツの行く先も同様の溜め込み婆でした。
投稿: シンシア | 2019年3月18日 (月) 17時15分
そう言って貰えると心が和みます(笑)。
これで3回目か4回目か忘れましたが、最低でも後1回は有ります。そして婆さんが死んだ後に母家の中の物がもう1回かな。。。ハハハ。
投稿: みつやす | 2019年3月18日 (月) 18時50分