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2015年10月22日 (木)

血筋より実力

10221 家系図がだいぶ出来てきた。直系で取れる戸籍は限られているけど、それでも仕事のついでなどに他の市町村の市役所を訪ねて増強した成果。
 ここまで作って良く解らん繋がりなどを爺さん婆さんに聞いてみると、今では信じ難い様な話が色々出てきて面白い。
 一番違うと感じるのは「家」に対する思いの違い。「家」の定義自体が難しいのだけど、100年くらい前の光安家ではDNAの繋がりよりも「この地で共同生活をしている仲間」と言う意味の「家」が重視されていた事が覗える。もしかしたら「仲間」じゃ無くて重要なのは「土地」かもしれない。

 二つほど例を挙げると、子供が生まれない嫁さんと離婚して別の女性と結婚し、それでも子供が生まれなかったので自分の妹に養子を連れてきて、妹を自分の娘として次の代としてみたり、息子が居るけどパッとしないから商売を継がせる訳には行かず、養子を迎えてさらにそれに嫁を取らせてそちらに家を継がせた等々。
 前者は女性側でDNAの繋がりは有るけど、一番偉くて権力を持っていた家長はDNA的には他人。さらに後者なんてDNA的に繋がっている実の子よりも、全く繋がりの無い他人に家業を継がせている。
 婿養子は昔から今まで聞く話。これは他所の優れたDNAを持つ(と思われる)男に娘を嫁がせるよりも、この土地に拘ってよその家が放出しても良いと判断した(ナンバー2以下の)男を迎える方を選択したとも言える。
 でもナンバー2の意味は出来が悪かったと言うよりも、時代背景的に長男じゃ無かった程度のモンじゃなかろうか。事実、光安家に養子に来た人は村長にまで成っているし、7人の子宝に恵まれて一時的に8人目の養子まで抱えたりしている。「家」的には大成功の養子縁組だ。
 もう一個の自分のDNAを排除してしまった方だけど、この行為を婆さんは「いりこいりよめ」と呼んでいた。こういう言葉が存在する程度には行われていた行為らしい。なかなか面白い。昔は意外と実力主義だったという訳か?。

 順番的にランニング。具合よく脚の筋肉が回復していたのか今までで一番ペースが速かったような気がする。測定していないから本当のところは良く解らんけど。
 そう言えば若宮IC横のホテルから、それっぽい恰好の女性が3人出てきた。ウインドブレーカに底の薄いランニングシューズ。明らかに日曜日の駅伝に参加する実業団選手達だ。

ラン 11km

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コメント

ライトスタッフ社は、機械・電気関係の技術もさることながら、民俗学に精通しておられるご様子。続編を期待するところです。 柳田ラモ男

投稿: ラモ | 2015年10月23日 (金) 17時08分

 筑前物語でも書きますか。

投稿: みつやす | 2015年10月23日 (金) 18時20分

くんたキンテ・・・・流行しましたネ〜。ここにきてボー国営放送が、ファミリーヒストリーなる番組の影響で、盛り上がって居る様です。25日は、ブルーインパルスが福岡県に来るそうなので、そっち方面に行くカモしれません。
筑前物語・・・・なに味なんでしょうか?どんなお菓子なのかも興味あります。w

投稿: そクラテす | 2015年10月23日 (金) 18時42分

 あのころ調べていれば、もう1部くらい戸籍が出てきたかも知れません。ちょっと残念です。今は福津市方面が調べ切れてません。

 筑前物語はバターをふんだんに使った洋風饅頭です。最近よくあるパターンですなあ。

投稿: みつやす | 2015年10月23日 (金) 19時17分

東アジアでは一般的な血縁主義は、日本では皇室しか残ってないですね。民間は貞永式目の時代から地縁主義や実力主義で嫡子を決めていました。日本人は世界的にも稀な合理主義者です。なんか不思議(笑)。

投稿: Mark@小倉南区 | 2015年10月23日 (金) 19時30分

 私もなんか意外な気がしました。その人を形作るのはDNA情報だけではなくて育った環境も影響する事を考えると、血縁に拘るのは半分くらいで良いのかも知れませんね。

投稿: みつやす | 2015年10月23日 (金) 21時42分

僕も家系図を作っている最中ですが(笑)オヤジに聞くと何代か前ので近所から婿養子をもらっていたり(ということは同級生だったアイツとは遠縁に当たるのか??と思ったり)
ひいじいさんは美男子で近衛兵にならないか?と誘われたほど??だったらしいけど、一代で我が一族を没落させたほどの放蕩ぶりだったり(笑)
5〜600メートル離れたところに、今は縁がないけど、同じ苗字で分家らしかったり、やや離れた場所に10数代前の本家があったりすることが分かりました。

調べていて感じたのが、みつやすさんと似たような「土地」への感覚。
先祖から受け継いで僕(次男坊だけ)で10数代目が最後の残った土地に住んでいるけれど、周囲を見渡すと場所的に一番標高が高いところ(関東平野の真ん中なので坂が無いに等しいですが、微妙な高低差はあります)
つまり、風の通りが良くて水はけも良く、日当たり良好、土もイイ場所でした。
どおりでバナナが異常によく育つワケだ(笑)

此処に移り住んで開墾したご先祖さんたちは、すごく自然のことが解っていて、この場所を選んだんだなぁ・・と、200年後の僕はしみじみ有難く思いました。
果たして、僕はこの土地を手放さずに生きていけるのか???

投稿: あつし | 2015年10月24日 (土) 00時04分

 社会科嫌いの子供でしたが、家系図つくりは面白いですねえ。残念なのは私が生まれる前くらいに家が火事で焼けてしまい、色々な物が焼失したらしい事です。唯一火縄銃の銃身だけが残ってますので、今度磨いてみようかな?と考え中。

 その時代、その世代で重要な物は違いますので、土地以外の物が重要な時代はそれを重視するのが当然の事と思います。

投稿: みつやす | 2015年10月24日 (土) 09時19分

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