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2008年6月14日 (土)

廿日市前日

0614 04:30に目覚ましで起きた。服を着替えて顔を洗って歯を磨いて、あらかじめ荷物を積み込んでいた軽トラに乗り込んで出発。
 近所のローソンで朝食を買い込む。メニューは小さめのおにぎり弁当、野菜とツナのホットドッグ、野菜ジュース、コーヒー。運転しながら全部食べた。
 今日は初めての経験として下道で広島まで行く。中間から八幡の先まで距離の近そうな道を走り、以後は3号線。小倉の手前から西港に抜けて199号に出て、門司港で再度3号線に戻る。前を行くトラックがほとんど変わらないので、定番のルートなのかもしれない。
 関門トンネルを抜けてからはずっと2号線。山口県内の2号線は凄かった。かなりの部分が信号の少ないバイパス化されており、それらが80km/hから90km/hで流れている。
 リヤに積まれたクローバフォー直列4気筒エンジンが唸りを上げる。360ccの時代では無いのでもはや悲鳴ではない。3000ccのアイドリングに近い怠惰な微睡みでもない。まさに設計者が意図したトルクと回転を、クランクシャフトがひねり出している感触が心地良い。
 欽明路の近くまで来たときに少し悩んだ。岩国から大竹に抜ける細ーい裏道にバイパスが出来た話を聞いていたので、それを試してみようと思って2号線を選んだ。
 高速道路の高架を潜って直ぐに、左に大竹の看板が出来ていた。バイパスに期待を寄せながら記憶にある細い道へ左折した。最初は変わり映えのしない昔と同じ道だった。民家の横を登っていく。
 次第に山の中の細い道になり、軽トラ同志でも離合出来ない様な道になってきた。どこからバイパスが始まるのだろうと思い始めた頃、右上に高速道路のような道が見えた。。。その瞬間に全てを悟った。バイパスの入口ってもっと先だったのね。。。

 ハイペースな2号線バイパスのおかげで、09:00頃にはウエキサイクルに到着してしまった。以前よりも少しだけ商品が増えて小綺麗に成った感じ。ここは小さな店だけど、いつ来てもお客さんが居る。居座った常連じゃなくて普通の感じのお客さんが。
 ウエキさんと少し話をし、明日のランの補給食としてカーボショッツを2袋買った。パワージェルしか使ったことが無いので、どんな味でどんな効き目?が有るのか楽しみ。
 受付開始まで時間があったので、以前済んでいた吉見園に行ってみた。何も変わって居ないけど、場所によっては激変している場所もある。自分たちが住んでいたマンションはまだ残っている。他人として元自分たちの部屋を見るのは変な感じ。
 水鳥の浜公園とか八幡川沿いを散歩して写真を撮った。堤防の上から吉見園公園を眺めた。小さな子供達が遊んでいた。息子達もこうやってここで遊んでいたことを思い出す。
 私も嫁さんも実家というか生家が有って帰ろうと思えば帰れる。息子達はどうなるのだろう?彼らの生家はここの吉見園のマンションになるのかもしれない。彼らの生家は物理的には残っているけど、社会的には残っていない。彼らがこの地に立ったとき、私とは別の感情を持つのかのしれない。
 そんなことを思っていたら、なんとなく体中のアドレナリンが引いてきてセンチメンタルな物がモヤモヤと充満してきた。

 時間が来たので昼飯を食って受付に行くことにした。悩んだけど廿日市の王将に決めた。餃子が安い日だったので少し嬉しい。何か良いことが有るかもしれない。
 受付後はコース試走のバスに乗った。一通りの道は走ったことが有るのだけど、通しで走ったことが無かったので乗ってみた。所山は確かにキツそうだけど、それよりも最初の起伏の繰り返しの方がキツそうに思えた。
 説明会では広島の友人達と久し振りに会って嬉しかった。花屋の看板娘は最近メディアに露出しまくって居るらしい。髪の毛がふわふわして心なしか化粧が濃く感じたのは気のせいか。
 説明会が終わってからは明日の朝食と補給食を買い出し。勝手知った海老園のスパークで買い物。弁当に半額シールを貼っていたのでそれを中心に食材を購入。
 私のよそ行きホイールの製造元であるNOKOにも寄ってみた。仲西さんは相変わらずでメタボ要注意状態だったけど(笑)、店の中は私が知っている出来始めに比べたらだいぶ商品が増えて居た。時間が遅かったのでちょびっとだけ話をして、今日の宿のゴンさん宅へ移動。

 当初の予定では1泊200円らしい岩倉のキャンプ場で過ごすつもりだったけど、ゴンさんに誘っていただいておじゃますることにした。
 基本的に私は接待されたり大事にされたりするのが苦手なのだけど、事務所というか工場というかガレージというか、良く解らんけどそういう感じの場所にほっぽり出してくれるそうなので、迷惑かなとは思ったけどお願いすることにした。
 ここに来ることに決めた半分以上の理由はこの写真。私のXSと同世代のCB750。レストア的な作業な一切されて居らず、当時のままの部品が丁寧に時を過ごしている。このバイクを前に50過ぎのオヤジが二人、あーだこーだと延々と話をした。
 明日の大会が無ければ、エンジンをかけたりシートを外したりして深夜まで大変な事に成っていたと思う。そんな事になったら上にいる奥さんとみょんみチャンに大顰蹙だったはずで、明日が大会で本当に良かった。
 一人になってから明日の用意をした。ゴンさんが準備してくれたマットを引き、私が持ってきた寝袋を広げて寝た。疲れていたのか直ぐに寝てしまい、02:00頃に1回目が覚めたけどまたすぐに眠りについた。

 こんなに沢山の事を1日で出来たのは驚いた。

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