3年
中村教官の事故から3年経った。3年前の今日、メールを何回も読み直したのを思い出す。あれから3年。時の経つのは早い。
事故の後からずっと、一度はXSで久住に行きたいと思っていた。私が中村教官と始めて会ったのは大学4年?の今頃だったと思う。今の山岳滑翔大会の様な感じで全国から久住に学生が集まるイベントがあった。そのイベントに京都から私ともう一人が参加した。
もう一人はCB50に乗る佐賀県の新入生。二人で阪九フェリーで小倉まで行き、その後は10号線を経由して久住まで自走した。確か集合時刻に遅刻してしまった記憶がある。
その時に乗っていったオートバイが今のXS650。だから亡くなった後のお別れにも、XS650で行きたい。。。と言うか行くべきじゃないのかと思っていた。
色々と都合があって今まで行けなかったけど今日は何とかなりそうなので、朝出て昼までに帰ってくる予定で出発した。
人もオートバイも年なので飛ばせない(笑)。車と一緒に安全運転で久住に向かった。行きは出来るだけ昔通った道をトレースしてみた。嘉麻峠から日田に抜ける最後の所で、ぶどう園やラブホテルの横を通る道がなかなか見つからなかった。やっと見つけた道は凄く狭い。こんな道を通っていたのかと驚く。
日田から久住にかけてはかなりの区間がバイパスが出来ている。旧道は民家の前の小さな道だったりするので、この区間は出来るだけバイパスを通るようにした。
最後の自販機で缶コーヒーを買い、革ジャンのポケットに入れて滑空場の墜落地点まで持って行った。半分飲んで半分は地面にかけた。
Uターンするために格納庫の所まで行ったら、学生が整列して何か式典が有っていた。道に出ようとしたらプリウスが通り過ぎた。中村家のプリウスだった。追いかけてちょっとだけ奥さんと話をして、来た道を引き返して滑空場を後にした。
帰りに三愛でガソリンを入れた。6.9Lしか入らなかった。リッター29km強走っていた。古い650ccでこの燃費は悪くない。点火と燃料系がだいたい旨く纏まったのだと思う。
帰り道は出来るだけ標識のままに素直に帰ってみた。至る所に新しい道が出来ていた。こうやって道も環境も変わっていく。思わず"時代"を口ずさんでいた。適度に流されながら生きるのが良いのかもしれないと思った。
途中で尻や肩が痛くなってきた。そう言えば最近はXSで長距離を走っていない。この位の距離までなら、今は自転車の方が身体が楽かもしれない。
途中で昼飯を食べて、13:00過ぎに帰宅した。コーヒーを飲んでボーッとして、嫁さんの会計の話しに付き合って、今日発送の分を梱包して、1個だけ間に合わなかったのでママチャリでヤマトの営業所まで持って行って1日が終わった。
バイク 12km
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コメント
あれから3年ですか・・
あれは5月だったんですね。
先生のご葬儀の前日(?)にお邪魔しました。
行きの飛行機の中で読んだ新聞記事の
写真のグライダーが今でも目に浮かびます。
合掌
投稿: 従姉妹 | 2008年5月18日 (日) 00時01分